いみずとなみこおりぶぎょうしょあと。郡奉行所には、奉行2名、足軽20~30人が常勤し、十村の人事、年貢徴収、土木工事及び簡易裁判等を行った。
寛文5年(1665年)には奉行の住む役宅が2棟建てられ、東貸屋・西貸屋と呼ばれた。その他、足軽長屋や牢屋も設けられていた。 明治維新によって奉行所は廃止となり、跡地は住宅地として開発された。現在は跡地周辺を示す石碑(昭和49年3月建立)が残されている。