かがはんさじきぐらあと。加賀藩では、窮乏する農民に対して「作食米」と呼ばれる米を貸し付け、安定した農作業を勧奨した。この作食米を納めたのが作食蔵である。
小杉新町の作食蔵は、4間×15間の規模で、1,000石の米を備蓄し、蔵の前には加賀藩算用場が発した農民の心得11ヶ条を書いた 高札が掲げられた。 この作食蔵は、凶作で貸付米の返済が滞ったため、享和3年(1803年)に廃止となり、明治以後は富山地方法務局小杉出張所などが置かれた。