かいちしゃあと。明治6年(1873年)、増田伝七が開いた書店であり、後に伝七の弟の贊と、老田村出身の海内果がここに「相益社」を結成。
明治10年(1877年)に、雑誌『相益社談』を創刊した。 『相益社談』には、東京の学者や地元有識者から民権・経済・教育・人生・健康等、幅広いテーマでの寄稿が寄せられ、販路は北陸地方一帯に及んだ。 ここから発信された新しい知識は、社会や生活の改善に大きな役割を果たした。現在、跡地には、「開智社之跡」と刻んだ石碑が建立されている。